和歌の浦みちしるべの会

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和歌祭6
和歌祭は、家康公を祀る紀州東照宮の例祭です。和歌の人々が盛り上げ、継承する天下の大祭です。
心意気が全ての人々を繋ぎます。渡旅行列の道の清掃、草刈から始まり、株が機能して祭を作り上げます。
警備は和歌浦分団が担当します。和歌の人の全てがこの祭を支える、支えさしてもらう、参加する事に意義を
見いだし、生きることを感じます。


























東照大権現として祀られる家康公。みんなが主役の和歌祭。今年も終了しました。



 
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和歌祭4
百面・面被 
仮面、面掛をかぶり、行列する一団。百面です。

















今年も多くの子供泣かした百面。よく泣いた子供は、無病息災に育ちます。
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和歌祭5
舞姫 木村屋中村和子さん
武勇の和歌祭の中、女性の晴れやかな祭、舞姫です。舞姫は、
新和歌浦木村屋和ちゃんが世話役です。舞姫の株を持っています。
現在の舞姫を作り上げたのは、中村さんです。新和歌浦の観光が
衰退するなか、地域振興を考え「和歌祭こそ観光の鍵」と思い至り、
平成11年和歌祭保存会青年部の発足に参加。男性ばかりの世話役に初めて舞姫の
世話役として女性が引く受けることになった。日本舞踊の小林富喜子さんを紹介され、紀州手まりを弾ませる
振りを付けた踊りが作られ、舞姫の踊りとして登場した。和歌祭の新たな歴史が始まりました。
『みる・きく・たのしむ 和歌祭』より








 
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和歌祭3
江戸時代、元和8年(1622)に和歌祭は始まりました。1600年に関ヶ原の戦いがあり、戦国時代が終わって直ぐの時代です。
長い時間をかけて、和歌の人々により守り継がれてきた和歌祭。これからも継承されます。























和歌浦分団と支えるわか応援隊。和歌祭の警備を担当します。



 
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和歌祭2
天下の大祭 和歌祭
好天に恵まれ、一日楽しみました。和歌浦の心意気です。





















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東照宮 和歌祭
和歌祭です。























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御手洗池公園(みたらしいけ・みたらいいけ・丸池)
 東照宮の所有地、御手洗池は、入り江の先端部です。片男波が埋め立てられ池となって残っています。明治以降も東照宮参詣者の禊ぎの場として、重要な聖域でした。和歌浦地区の産業の発展により、急激に池が濁り、埋め立ての危機に瀕しました。昭和46年、国体の時、和歌山市により公園と位置付けられ、御手洗池公園として再生しました。今、保井夫婦により守られています。


桑山玉州 1782 和歌浦 その景のうつりかわり 和歌山市立博物館




昭和43年7月12日 朝日新聞和歌山版「東照宮の御手洗池 陳情よそによごれ放題」


昭和46年1月26日 朝日新聞和歌山版
東照宮参詣者が禊ぎの場として使う神域


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紀州東照宮拝殿
 あしべ屋特製の「和歌の浦 東照宮拝殿」の絵葉書です。あしべ屋は、明治に隆盛を極めた妹背山三断橋前の旅館です。新和歌浦の開発が進む大正14年には廃業し、望海楼支店あしべやになっています。その頃、東照宮の拝殿と妹背山観海閣は呼ばれていたのです。徳川頼宣公の父家康公を東照宮に、母お万の方を妹背山多宝塔に祀ったことからみて、紀三井寺の拝殿は別として、東照宮の拝殿という呼び方は、誰の発案なのでしょうか。




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