和歌の浦みちしるべの会

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名勝和歌の浦 山部赤人歌碑 復旧
 
読売新聞


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片男波ワンマンライブ
 土曜日、片男波公園でワンマンライブが行われた。不定期です。1980年代のホークソングを中心に1時間歌った。散歩する人に「今日は来たの?」と声をかけられながらのライブ。秋空に声がこだました。


赤とんぼも一緒にワンマンライブを楽しみます。   



秋空です。和歌の浦の空の青さ、すばらしい。 

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新和歌浦開発 森田庄兵衛(もりた しょうべえ) 
 文久2年(1862)生まれ。明治40年(1907)、病気静養で和歌浦に来て、その美しさに魅了される。和歌浦に多くの人々が訪れるようにと、和歌浦から雑賀崎にかけての山林45ヘクタールを買い取り、和歌浦から田野に通じる道路を整備、二つのトンネルを作った。観光地としての新和歌浦の始まりである。更に奧のトンネルそばには顕彰碑が建立されている。
木村屋前の新旧のトンネル。森田庄兵衛が私財で造ったトンネル。明治期の歴史遺産です。
 
岩盤を掘り抜いた状態です。

 
入口付近のトンネルの石積み。友が島でとれる砂岩です。積み方は水軒堤防と同じ布積みです。上はレンガを使っています。

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和歌の浦 小説家津本陽先生
和歌浦には良く聞く名前があります。「津本」もよく聞く名字です。和歌浦の交差点のところに小説家津本先生の実家があります。明治、大正期に建てられた旧家です。


   
津本先生は沢山の小説を書かれています。『六字名号の城』は、織田信長と戦った和歌の人を画いた雑賀衆の物語です。蓮如上人が教えた浄土真宗を信じる多くの和歌の人が参戦しました。和歌浦の西正寺、宗善寺、法福寺、養泉寺、雑賀崎の極楽寺、関戸の円明寺、田野妙楽寺、全て雑賀衆の寺です。

















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チュリスタ 和歌山ファン交流会
 チュリスタ 和歌山ファン交流会が6月9日 日曜日行われました 

「和」の精神性とジャンルを超越した
ソングライティングを持ち合わせ、
151僂梁里ら、聴く者の心へと雄大に響き渡る
『稟』とした癒しボイスの魅力の佐野安佳里。

19歳で綾戸智恵のメンバー抜擢されると、
その笑顔あふれるステージで見る者の心拍数を高まらせ、
今までにJ−POPSから映画音楽などの録音作品や
コンサート出演を重ねるギターリスト中村康太。
精力的に音楽活動をしてきた2人が、
2011年1月から新ユニット『ChriSta』を結成。
これから繰り広げらる『チュリスタ』の世界に注目して頂きたいものです。

チュリスタ ブログ
http://ameblo.jp/churista1/

   

6月9日(日曜日)、多くの人の参加を得て、チュリスタファン交流会が地元和歌山で行われた。熊野の「祈り」からはじまり、「ぞうの涙」まで、一気に歌いきった。全国区まであと一息のチュリスタ。頑張れ。私たちファンは限りなく応援します。

 

お父さんの参加もありました。お父さんは、和歌祭り百面の勇士です。 


当日配られたチュリスタ、ハンドタオル。

 

和歌祭りでの佐野安佳里ちゃんのお父さん。百面で多くの子供を泣かしました。その子供たちは、元気ですくすく育ちます。
 
 

和歌祭りでのチュリスタ。

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山田猪三郎顕彰碑

私は「山田猪三郎顕彰碑」と申します。

私は生前、和歌山市から東京に移り、水難救命具や、飛行船を製作しておりました。大正2年に没しましたが、昭和4年に同郷の、文部大臣鎌田栄吉様らのご努力により、風光明媚な新和歌浦へ、顕彰碑として、帰ってくることができました。

 しかし私83歳、寄る歳月には勝てず、足腰が痛み、一人で立っているのがつらい身になりました。 

 そんな中、この私を支えるために、ふるさと和歌山の皆様の、ご厚情と多大なご寄付を賜り、手厚い治療を施して頂きました。お陰で足腰に鉄筋も入って、すっかり元気になりました。それに恥ずかしながら、私の顔写真まで付けて頂きました。

 これからは、美しい新和歌浦の景色を、安心して眺めることができ、こんな嬉しいことはございません。厚く御礼申し上げます。

 おわりに、この私が「海の安全・空(宇宙)への憧れ」のシンボルとして、末長長くご愛顧を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

 有難うございました。なお同封の写真も、ご覧下さいませ。

2012年正月 代筆 南紀史談会 小林護


◆顕彰碑耐震工事の完成祝い・山田猪三郎百回忌・行事のお知らせ◆

 主催  南紀史談会

 日時  2012年4月8日(日) 12時から

     百回忌慰霊祭  顕彰碑への献花を行います。

 和歌山県には多くの偉人がいます。山田猪三郎は、日本が近代国家となり、初めての本格的な戦争である日露戦争にも参加しました。旅順の203高地では飛行船を飛ばし、要塞の状況などを調査しています。この功績により、大日本帝国陸軍最高の栄誉である金鵄勲章(きんしくんしょう)を授与されています。旅順要塞戦では、友ヶ島の砲兵隊も数多く参加しました。和歌浦に建つ忠霊塔には、日露戦争で死んだ和歌浦出身の軍人が祀られています。

   

   高津子山の麓に建つ山田猪三郎顕彰碑

   

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和歌浦出身 チュリスタ ライブ

 225日(土曜日)和歌浦アートキューブで、ワンマンライブが300人弱を集めて開かれた。和歌浦出身の佐野安佳里ちゃんと中村康太君がユニット『チュリスタ』を結成し、全国でライブ活動を展開中である。チュリスタは、チューリップ(花言葉は愛)とスター(希望と勇気を与えたい)の造語。

 昨年8月に名勝和歌の浦は、国指定記念物(名勝)にランクアップ指定されましたが、チュリスタ佐野安佳里ちゃんは、和歌浦出身。全国から人が集まるようにと、全国ライブでも美しい「名勝和歌の浦」を広報活動中。私達が見る日常風景、自然の造形美である美しい和歌の浦が、国指定の文化財になり、その風景を佐野安佳里ちゃんも広報してくれている。私達もチュリスタを応援しよう。

 

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山田猪三郎
1863年(文久3):和歌山市新堀に紀州藩士の子として生まれる。

1886年:イギリスの貨客船ノルマントン号が大しけの和歌山県潮岬沖で遭難。
多くの犠牲者が出たことを遺憾に思い、海難に対する救命具の開発を考えるようになった。

1888年:大阪で外国人技師からゴムの加工技術を習得。その後、3年間の研究を重ねた。

1892年:上京。救難浮輪の製造所を開設。折りたたみ式携帯用救難浮輪を製作し特許を取得。

1897年:海に浮くものから空に浮くものへと、気球の研究に着手し始める。

1900年:円筒形系留気球を完成させ、凧式係留気球と称して新聞にも掲載された。


1904年:日露戦争が勃発。
陸軍で気球隊が編成され、2個の気球が山田猪三郎の工場で製作された。

1910年:空中を自由自在に飛行できるプロペラ付きの飛行船を完成させた。
同年9月8日、山田式第一号飛行船は日本発の空中飛行に成功した。

1913年(大正2年4月8日):生涯を閉じる。

1929年(昭和4):有志により猪三郎が若き日に親しんだ和歌の浦が見渡せる場所(たこずし山/高津子山)に顕彰碑が設立された。

私財を投じて生涯を気球や飛行船の研究・発明に注ぎ、多くの功績を残したことを称えている。

*碑の全文

山田猪三郎君碑
ヤマダイサブロウクン ヒ

君は帝国航空界の先覚者たり
キミハ テイコクコウクウカイ ノ センカクシャタリ

文久三年和歌山市新堀七軒町に生る
ブンキュウサンネン ワカヤマシ シンボリ シチケンマチニ ウマレル

天稟発明の才に富み夙に航空機の研究に従事し、明治三十三年始めて繋留気球を造り、日本式気球と名づく
テンビンハツメイ ノ サイニ トミ ツトニ コウクウキノ ケンキュウニ ジュウジシ、メイジサンジュウサンネン ハジメテ ケイリュウキキュウヲ ツクリ、ニホンシキキキュウト ナヅク

日露戦役の際我軍之を用いて旅順要塞を偵察し多大の効果を収めたり
ニチロセンエキノサイ ワガグン コレヲモチイテ リョジュンヨウサイヲ テイサツシ タダイノコウカヲ オサメタリ

朝廷功を録し勳六等単光旭日章を賜る
チョウテイ コウヲシルシ クンロクトウタンコウキョクジツショウヲ タマワル

明治四十三年大航空機を造り、支那第一次革命戦に用いて、偉功を奏し世界の認むる所となれり
メイジヨンジュウサンネン ダイコウクウキヲツクリ、シナダイイチジカクメイセンニ モチイテ、イコウヲ ソウシ セカイノ  ミトムル トコロトナレリ

惜哉天寿を假さず
大正二年春、行年五十一歳を以って逝けり
オシムカナ テンジュヲカサズ タイショウニネンハル、ギョウネン ゴジュウイッサイヲ モッテイケリ

顧みるに帝国航空の業、今日の盛況を致せるもの、君が率先の功に負う所 特に多し
カエリミルニ テイコクコウクウノギョウ、コンニチノ セイキョウヲ イタセルモノ、キミガソッセンノ コウニ オウトコロ トクニオオシ

是に於いて有志相謀り碑を建て、以って其の功績を後世に伝ふ
コレニオイテ ユウシ アイハカリ ヒヲタテ、モッテ ソノコウセキ ヲ コウセイ ニ ツタウ

昭和四年四月八日
枢密顧問官: 鎌田榮吉 撰
勲三等:二宮状太郎 書

写真提供 / 株式会社気球製作所
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