和歌の浦みちしるべの会

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紀州東照宮3
 元和8年4月初め、春秋の大祭を決め、神輿渡御を毎年恒例とし、春祭を4月17日、秋祭を9月17日とした。春の大祭は和歌祭、秋の大祭は、仏の原という能を行った。徳川頼宣公は紀州家のあらんかぎり退転あるべからずと定めた。
 明治5年7月、神仏分離で本地堂、三重塔、鐘楼などの堂塔が取壊され、雲蓋院は廃寺となったが、明治20年大相院に移った雲蓋院ほか6院は合併し、大相院を雲蓋院と改号、再興した。現状の東照宮になった。
現在、石灯籠の並んだ賛同を歩き、108段の石段を登ると楼門がある。門をくぐり境内に入ると東に神神輿、西に御供所があり、高さ2mの石垣で一段高くなった社地北側に唐門・東西瑞垣で囲まれ、その中に手前から拝殿・石の間・本殿が建つ。権現造りの形式をもち、桁行3間、梁間3間、入母屋造の本殿と桁行5間、梁間2間、入母屋造の拝殿を石の間繋ぐ校正になり、尾張、水戸の徳川家と同様、規模・形式とも久能山東照宮に準じている。一番古い権現造は、北野天満宮にあり、実在の人物を祀る形式である。拝殿は殿様が座り、石の間では神職が神事を執り行う。本殿は家康公と頼宣公が神となっている場所です。
紀州東照宮は透彫彫刻が施され、見事な大工彫刻が施されている。瑞垣の西側には、仮殿と神輿舎は、大正7年に合祀された頼宣公を祀っていた南龍神社遺構を移築したものである。
 大正5年5月24日社殿、昭和40年に唐門、東西瑞垣、楼門、東西回廊が重要文化財に指定されている。和歌山県内で、瑞垣が指定されているのは、那智大社と当社のみである。


重要文化財東照宮 唐門、本殿。権現造。


唐門。




左 甚五郎作品 登竜門 鯉が滝をの持って行った先で龍になる。


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特別史跡岩橋千塚古墳群5
 胡簶(ころく)高句麗で出現したとされる矢羽を上に向けて腰に装着する道具である。騎馬用で短矢を入れるのが普通といわれる。大日山35号墳では、2個体分あり、矢が5本と7本入った表現である。日本初。





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特別史跡岩橋千塚古墳群4 大日山35号墳 
 日本で初めて出土した顔が両面についた人物埴輪
髪型は両面共通で、垂直に下に伸び、上方からは男性である。両面の顔の表情は異なり、吊り上った目を持つ人と丸い目を持つ人がある。頬には、→と矢羽根の表現がある。矢に関する職制の人物を表現するかと考えられています。


平成20年特別展『岩橋千塚』県立紀伊風土記の丘より



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特別史跡岩橋千塚古墳群3 大日山35号墳 

翼を広げた鳥。日本で初めて飛ぶ鳥が出土しました。翼をひろげ、滑空する鳥の姿は、スマートでダイナミックです。顔はかわいい。井辺八幡山古墳から出土した人物埴輪の腕に乗った鷹と頭部の表情が似ていることから、現状では鷹と考えられています。日本初。

平成20年特別展『岩橋千塚』県立紀伊風土記の丘より



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特別史跡岩橋千塚古墳群2
  大日山35号墳 6世紀前半和歌山県最大の前方後円墳
発掘調査された2段築成の前方後円墳。墳長86m、基壇まで含めた総長は、105mである。東くびれ部には、家形埴輪を中心に、翼を広げた鳥・水鳥・馬・羊・犬といった動物埴輪が多く、貴人・力士・大刀などの埴輪が出土している。西造り出しには、両面人物・胡簶(ころく)のほか、武人・巫女・貴人・家など出土しました。


特別史跡岩橋千塚古墳群は、和歌山市東部、岩橋山塊に所在する古墳群です。5世紀初頭頃から7世紀後半までの古墳が造られています。6世紀頃に石棚、石梁をもつ岩橋型石室と呼ばれる独特な古墳を構築しました。特別史跡岩橋千塚古墳群の範囲は広く、東西約3辧南北約2.5劼任△蝓東が矢田峠、南が和田盆地、西と北は日前宮がある平野に接しています。この範囲に花山・大谷山・岩橋前山A・岩橋前山B・和佐・井辺・井辺前山・寺内・山東の10地区に区分され、現在848基の古墳が確認されています。これら古墳群は、和歌山平野を支配した古代豪族紀氏を中心とした墓と考えられています。

平成20年特別展『岩橋千塚』県立紀伊風土記の丘より



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特別史跡岩橋千塚古墳群1 
 文化財保護法の記念物という概念は、史跡・名勝・天然記念物があります。建物などの指定では、重要文化財があり、その中で特別に重要なものは、国宝と呼ばれます。重要文化財と同等の価値を持つのが史跡・名勝・天然記念物です。和歌山城は、史跡に指定されています。和歌の浦は名勝です。史跡の中でさらに重要な国宝と同等の価値を持つのが特別史跡です。岩橋千塚古墳群は、国宝なのです。

平成20年特別展『岩橋千塚』県立紀伊風土記の丘より




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紀ノ川河口部付近の地形(1500〜1100年前)と古墳時代の主要遺跡分布図
 現在の紀ノ川は、西流して海に流れ込んでいるが、古墳時代は、大谷古墳の南西部で大きく屈曲して南に流れ、現在の和歌川河口部で海に流れ込んでいました。車駕之古址古墳南側一帯は後背湿地もしくは潟湖で集落を営むには不適切な場所でした。古代の港は、河口を少し遡ったところに置かれます。(潟湖)。紀伊水門と呼ばれるのは、河口部の和歌浦間での総称ですが、古墳時代から古代まで、大谷古墳の下の平井津、吉田津、神功皇后が朝鮮半島へ出兵した時の港と言われる徳勒津、津秦、和歌川、日方川、紀氏を惣神主とする日前宮や同族の丹生都比売神社の神事を行ったとされる聖地、玉津島神社が所在する和歌浦に港があったと考えられています。紀ノ川河口部の港から紀伊水道、瀬戸内海を通り、朝鮮半島へ人々は行き、交渉をもったのです。


平成20年特別展『岩橋千塚』県立紀伊風土記の丘より


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丹生都比売神社・日前宮と玉津島神社
 江戸時代後期に作られた『紀伊国名所図会』は、天野社新嘗祭で、この神事とその解説を載せる。
「むかし当社の神輿、玉津嶋のこしの窟に渡御ありて、日前宮の草の宮にも渡らせ給ひしに、故ありて其式廃れしかハ、今ハ祝詞棚といふをつくりて、惣神主、かの方にむかひて祝詞を申すなり」。
天野社の神輿が、玉津島のこしの窟に渡御と日前宮の草の宮に渡御していたが、今は廃絶し、惣神主が玉津島の方を向いて、祝詞をあげるという。なぜ天野社・丹生都比売神社の神輿が、玉津島神社に渡御し、帰りに日前宮に行くのであろうか。この三社は、どのような関係にあるのであろうか。
伊藤信明「天野社・日前宮と玉津島」『和歌の浦 その原像を求めて』によると、「玉津島は天野社の渡御地であり、日前宮・国懸宮の祓い所でもある特別な場所で、玉津島で天野社惣神主と日前・国懸宮の紀国造(惣神主)が共にお籠もりをして新嘗祭が行われた。紀氏と丹生氏の神事の場所であり、両氏族にとって聖地であった。」とする。
和歌山平野を流れる宮井用水。弥生時代から古墳時代初期にかけて紀氏により造られた。紀氏は、武内宿祢の子を先祖とする。日前宮・国懸宮は、この宮井用水の分水嶺に位置する。和歌山で最も古い古墳時代初頭の前方古円墳は、隣接する向陽高校から発見されている。宮井用水の開発は、紀氏が行い、日前宮・国懸宮の惣神主であった。天野社丹生氏も紀国国造の系譜に連なる。和歌山平野に大きな力を持っていた紀氏・その始祖を祀る日前宮。その一族の紀ノ川上流の天野社。紀ノ川河口部に位置する玉津島に天野社神輿が渡御し、帰りに、日前宮草の宮にも渡御した。その紀氏と丹生氏の聖地であった玉津島。豊富な木材により造られた船と巧みな航海術を持つ紀氏。紀ノ川河口部が和歌浦にあった頃、瀬戸内海をとおり、朝鮮半島へ行く玄関口でもあった。大和に政権を持つ天皇家にとって、紀氏はなくてはならない氏族であった。
紀ノ川河口部に浮かぶ玉津島は、いつの時代にも神が住む空間であった。玉津島は、紀氏と丹生氏にとって神事を執り行う場所であり、聖地であった。玉津島での神霊の存在を背景として、聖武天皇の玉津島行幸があったのである。














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