和歌の浦みちしるべの会

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雑賀崎
 海の幸が豊富な雑賀崎。この島で多くの幸が採れます。今日も2人が潜っていました。わかめ、ひじき、亀の手など。景色も綺麗です。魚も釣れます。





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名勝和歌の浦散歩
 万葉景観を残す名勝和歌の浦の中核部分です。歩くことにより景色が変化します。この景色の変化が脳に影響して、とっても良い効果を与えるそうです。散歩しましょう。朝は、見知らぬ人におはようございますと挨拶して、一日が始まりです。














四季折々、天気も毎日変わります。季節の風に吹かれて、名勝和歌の浦を散歩すれば、一日が健康です。
これから新緑がまぶしい季節に入ります。


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紀州東照宮2
 元和7年には、別当和歌山天曜寺(雲蓋院)を創建した。(天台宗・天海開基・本尊薬師三尊)。江戸の大僧正天海は、頼宣公の招請を来和し、自ら天曜寺の開祖となり、宮の別当職も兼ね、正遷宮の導師を務めた。禁裏の役人、関東ならびに山門の宗徒370人が下向したという。その後、70日間余滞在して一切の祭祀典礼を定め、寺の二世住職に円空上人を指名し、江戸に帰った。3世には、藩主頼宣公と親しい江戸上野の真如院豪俔上人、この時日光山の尊敬法親王から「雲蓋院」の称号をうけ賜った。
天曜寺の子院は6寺あった。
和合院・元和8年筆頭家老安藤直次起立。別所和合院慶順が開祖。
 宝蔵院・元和9年次席家老水野重仲起立。駿河宝蔵院慶順が開祖。
 大相院・寛永5年家老彦坂九兵衛起立。山門南光坊円移が開祖。
 玉泉院・寛永年に粉河三池坊天英が開祖。以上が鳥居の東にある。
 円成院・寛永3年以降、江戸上野栖生坊亮盛が開祖。(享保2年国照院と改号、さらに後に十如院と改号)
 正法院・寛永20年家老水野義重起立。吉野山慶海が開祖。
 さらに寺外六坊があった。





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紀州東照宮1
 紀州徳川家初代藩主徳川頼宣公が元和5年(1619)に紀州入国し、父家康を祀る社地を求め、和歌浦権現山中腹に占定した。和歌浦は、古来からの名勝の地であり、紀伊水道の水運を押える要所でもある。
神社の造営は、地形縄張りについては竹林坊賢盛僧正があたり、奉行は安藤帯刀直次、彦坂九兵衛光正の二名、大工は中村讃岐宗次、中村織部久長があたった。元和6年7月起工、9月立柱、翌7年11月に竣工し、11月23日仮遷宮、24日に正遷宮が執り行われた。
東照宮は、境内8方町、宮山周回50町余と広大で、本殿、拝殿、楼門、回廊、本地堂(薬師堂)、三重塔、護摩堂、開山堂、唐門、鐘楼などの伽藍を有する。




楼門の左右には、随身(ずいしん)が飾られている。






参考文献
重要文化財 東照宮 東西瑞垣 楼門 東西回廊 修理工事報告書 
「和歌山」東照宮修理委員会 昭和45年12月
重要文化財 東照宮本殿・石の間・拝殿 唐門 東西瑞垣 楼門 東西回廊 修理工事報告書              財団法人和歌山県文化財センター 平成12年9月
重要文化財 東照宮本殿・石の間・拝殿ほか二棟修理工事報告書
 社団法人和歌山県文化財研究会 昭和59年9月


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名勝和歌の浦 妹背山
 正月の妹背山です。曇り。寒いです。








多宝塔の扉も開いています。


境内は綺麗にされています。植木鉢なども一切ありません。


桜の蕾は、まだまだです。


あしべ屋妹背別荘。近代の面影を残す和歌浦で唯一の建物です。活用が図られています。


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新和歌浦
 明治に開発され、その後、関西の奥座敷と呼ばれるまでの観光地になった新和歌浦。雑賀崎まで8軒の旅館があります。




新和歌浦への入り口、観光橋です。ここを通って新和歌浦の旅館街に行きます。新天地、新和歌浦です。










玄関口、観光橋。綺麗に清掃されています。もてなしの入り口です。


第1トンネル上の東邦荘です。『和歌山市の今昔写真帳』郷土出版社


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正月の奠供山
 古くからの聖地、玉津島神社。神が住む空間です。聖武天皇、称徳天皇、桓武天皇が行幸されました。奠供山から見る景色は、綺麗です。正月、玉津島神社に参詣し、登りました。




5年前から自然に育ちました。大きくなりました。


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和歌の浦の欄干宝珠
 和歌浦から新和歌浦までのあしべ通りは、昭和9年に作られています。その時に、欄干の擬宝珠が付けられました。市町川の横を走るあしべ通りの欄干の宝珠は、既に81年も昔から付けられているのです。当時、和歌の浦ではどのようなことが起こったのでしょうか。

昭和7年 1932この頃、「年々百万以上の遊覧客を吸収している新和歌浦」と言われる。
昭和8年 1933 木村屋旅館開業。
5月、和歌公園の内、玉津島社付近の山一帯に花崗岩の石設置。
6月、和歌浦町、和歌山市に合併。
9月、和歌公園の整備を計画。この時、奠供山―雲蓋山院に大陸橋架橋。
昭和9年 1934 3月27日、佐藤春夫、和歌の浦泊。
5月 和歌浦観光自動車道路(和歌浦〜新和歌浦、現あしべ通)整備完成。この時、欄干擬宝珠設置。
7月、和歌浦街道(和歌道)松並木に白蟻、9月の暴風で多数倒れる。残り百数十本あり。
昭和10年 1935 7月、七年ぶりに和歌祭を挙行。
8月、台風のため、片男波防波堤決壊。
10月、和歌浦桟橋の架橋決定。

観光地新和歌浦が全盛です。年間百万人も人が来ています。昭和8年、木村屋も開業しました。奠供山、鏡山、妹背山の花崗岩の階段も設置されています。老朽化のため、撤去された奠供山から雲蓋山の大陸橋も作られました。昭和9年、和歌道には松並木があり、あしべ通も整備されました。和歌の浦の原型が出来上がっています。








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